は、京都山科に本願寺が建立され(文明十五年、西暦1483年)、「寺中は広大無辺、荘厳ただ仏国のごとし」と言われた頃から
本願寺に仕え、供物や諸事に携わってきました。
顕如上人の時代、元亀元年(西暦1570年)に始まった織田信長と石山本願寺(大阪)の
戦い(石山合戦)では、約11年のあいだ本願寺に従い、石山開城後も本願寺と共にありました。
天正十九年(西暦1591年)に現在の地に本願寺が建立されると、亀屋陸奥も御用達の
御供物司として本願寺の寺内に移りました。
後に、江戸時代万治(西暦1660年)の頃、豊臣秀吉が聚楽第の池に浮かべて興じたという
檜造りの大きな亀(写真下右)を公家の柳原家を通じて手に入れ、正徳五年(西暦1715年)
には三条大納言より陸奥の大掾の御宣旨(写真下左)を賜り、以後、双方にちなんで
亀屋陸奥と名乗るようになりました。
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